
音楽理論は「分析」「真似」には役立つが、
「新しい曲」「良い曲」には直結しない
音楽理論は、過去の名曲を「分析」したり「真似」するためには非常に便利な道具。
けれど、本当に新しい曲・心に刺さる良い曲を生み出すための“原動力”にはなりにくいという現実がある。
けれど、本当に新しい曲・心に刺さる良い曲を生み出すための“原動力”にはなりにくいという現実がある。
理論は「再現」のためのツール
コード進行、スケール、アレンジパターン……
音楽理論は「こうやれば“あの感じ”になる」という再現・模倣には非常に強い。
既存のヒット曲やジャンルの特徴をコピーしたいときは、理論が“地図”や“マニュアル”の役割を果たしてくれる。
「分析」で理解は深まる、けれど創造は…?
既存の名曲を分解・分析して「なぜ流行ったのか」「どこが新しかったのか」を知るのはクリエイターの基本。 だが、その知識や理論を「新しい何か」「自分だけの感動」に転換できるかは、まったく別の話だ。
▼ 「分析」で満足してしまうと、創造の現場で一歩踏み出せなくなる。
新しい曲・良い曲は「理論の外」から生まれる
誰も聞いたことのない一音、心が踊る一拍。
こうした「新しさ」「心地よさ」は、理論で説明できない“偶然”や“衝動”“身体の違和感”から生まれることが多い。
理論が「解説」できるのは“出来上がった後”のことがほとんど。
創造の瞬間はもっと感覚的・本能的だ。
「知識」と「創造力」は別物
- 理論で“再現”はできても、“発明”はできない
- 新しさ・唯一無二は「理論から外れる勇気」からしか生まれない
- 身体で覚えたクセや違和感、偶然の連鎖が「良い曲」の正体になることも多い
▼ 理論に頼りすぎず、“今・自分だけの感覚”を大切にしよう。
まとめ
音楽理論は「分析」「真似」には最強の武器。
でも、新しい曲・良い曲・唯一無二の作品は、その外側にある“感じたまま”“作りたいまま”のフィーリングから生まれる。
「説明できない感動」を追い求める気持ちを、ずっと忘れずにいたい。

