1.眠れない夜と、ひとりごと

六月の終わり。
昼間はうだるような湿気と熱気で、何もやる気が出なかった。
夕食を食べた後、私はしばらくリビングでぼんやりテレビを見ていた。
親は「もう寝るよ」とだけ言って、静かに自分の部屋へ引き上がっていった。

家の中は、不自然なくらい静かだ。
天井の隅の時計が、カチカチと乾いた音を刻んでいる。
私は一人で、二階の自分の部屋に戻った。

薄いパジャマに着替えて、ベッドの上で体育座り。
カーテンを開けると、梅雨の雲が夜空に流れていた。
時々、遠くで車の音がする。
私はスマホを枕元に置いて、今日一日のことを思い出す。

なんだか、何も残らない日だった。
家から一歩も出ていない。
誰とも喋っていない。
友達からのメッセージも、SNSのタイムラインも静まり返っている。

「……私って、本当に生きてるのかな」

そんなふうに思う夜は、昔から苦手だ。
でも、私の夜はここから始まる。
一人で眠る前の、静かな自分だけの妄想タイム。

2.夜の妄想、舞台の幕が上がる

部屋の灯りを消すと、天井の蛍光塗料の星がぼんやりと光る。
私はベッドに潜り込んで、シーツに顔を埋めた。
瞼を閉じると、暗闇の中に“もうひとりの私”が現れる。

自傷マリオネット。
それが私の妄想の中の名前。
糸で繋がれた人形みたいに、私は自分の身体を操る“誰か”に支配される。

現実の私は何も変わらないのに、
妄想の中だけは、少しだけ強くなれる。

見えない指が、私の首筋にふれ、
肩に、腕に、足に、そっと糸を巻きつけていく。

「もっと、操って……」

私は心の中で囁く。
妄想の“君”は、私の願いを全て聞き届けてくれる。

3.マリオネットの目覚め

世界が舞台になる。
私は誰にも見られない客席で、
自分自身が踊る姿をじっと見つめている。

指先に伝わるかすかな痛み。
「壊れたい夜は君のせい」
歌詞の一節が、心の奥に焼き付いている。

リボンをほどいて、裸のtruth――
本当の自分をさらけ出したくなる。
誰にも知られない、秘密のショータイム。

涙が混じる声で命令を待つマリオネットは、
心のどこかで、ご褒美の痛みを渇望している。

「欲望で熱くなる……苦しささえもecstasy」
妄想の私は、いつもより大胆だ。

現実では言えないことも、
妄想の世界なら囁ける。

「壊して」

自分の声が震えて、
その震えが心地よくて、私はもっと深く、夜に沈んでいく。

4.ベッドの上のダンスフロア

頭の中のDJが、私を煽る。
【Attention, all desire junkies!】
今夜は自傷マリオネットに操られてみろ!
欲望のまま、壊れるまで踊り明かせ!

目を閉じると、ベッドがダンスフロアに変わる。
私は可愛くて、少しだけエロいマリオネット。
リボンをほどき、赤い糸が体中に絡みつく。
痛みも快感も、ごちゃ混ぜのまま、君の指先を待っている。

布団の中で身を縮め、背中を丸める。
私は誰にも支配されずに、
でも、誰かに操られたいと思ってしまう。

「私、もっと可愛く踊れるよ……」

心の奥でささやくと、
見えない手が私の腰を引き寄せる。

5.支配と甘美な命令

暗闇の中、私は妄想の“君”の声を待っている。
「もっと操って、もっと強く引いて」
自分で自分の手首をぎゅっと握ると、
その指の力さえ、どこかで誰かに操られているような錯覚が広がる。

「Pull my strings, watch me bleed――」
歌詞がそのまま頭の中でリフレインする。
私の心臓は早鐘を打ち、夜の静寂に溶けていく。

ベッドの下、深く沈む身体。
熱を持った手のひらが、
本当に赤い糸に結ばれているような気分。
私は操られるたびに、ほんの少しだけ「自分じゃない誰か」になれる。

それは、現実から逃げる手段なのかもしれない。
でもこの夜だけは、
「誰かに壊してほしい」って願いが全て許される。

ご褒美の痛みをちょうだい。
涙まじりの艶やかなvoiceは、妄想の“君”にだけ聞こえる。

6.「快感」も「不安」も全部まぜこぜ

現実の私は臆病で、人前ではきっと「何もできない子」にしか見えない。
でも妄想の中では、
恥ずかしい命令も、大胆な姿も、全部「YES」と言える。

「もっと、もっと…」

身体の奥から、欲望が湧いてくる。
熱を持った首筋、胸の高鳴り、
思い切り誰かに支配されたい衝動と、
誰にも知られずにいたい不安が、
波のように心をかき乱す。

指でなぞるシーツの感触がやけにリアルだ。
膝を胸に引き寄せると、身体のどこもかしこも敏感になる。
自分で自分を抱きしめながら、
「壊して」って何度も囁く。

君の声が、耳の奥に響く。
「Self-harm marionette, pull my strings」
このフレーズだけで、私の身体は夢のなかで踊りだす。

7.痛みと支配、孤独の蜜

“操られる”という妄想は、
なぜこんなにも心地いいんだろう。
苦しさも快感も、全部まぜこぜになって、
どこか冷たい汗が背中を伝う。

ふと、自分が本当にマリオネットになったらどうなるんだろうと考える。
糸で操られ、見せつけるように踊らされて、
そのたびに、快感がじわじわと押し寄せる。

「見せつけたい傷あと」
「甘い支配に震えて」

痛みさえ恋になる――
現実では絶対に許されないことも、
夜の妄想なら全部OKだ。

枕元に手を伸ばし、ふと涙が零れそうになる。
でも、それも妄想の“君”に差し出せば、ご褒美に変わる。

苦しみも、寂しさも、
すべて「君へのプレゼント」に変換できる夜。

8.コントロールと崩壊のはざま

ベッドの上の自分は、
完全に無防備な存在。

支配されたい、でも自分の意思で操られたい――
矛盾する感情が体の中でせめぎ合う。

「Play with me, don’t let go」
「今夜は君のshow」

まぶたの裏に、DJの煽り声が響く。
レコードのスクラッチ、エアホーン、
熱狂するフロアの幻覚。

現実の私は、ひとりきりの静かな部屋にいる。
けれど、妄想の舞台の私は、
君だけのために踊っている。

9.壊れることの幸福

夢と現実の狭間で、私はマリオネットとして踊り続けている。
赤いリボンがほどけ、心の奥まで糸が絡みつく。

支配され、命令され、時には優しく、時には残酷に、
「もっと」と求められるたびに、
自分の弱ささえ美しく思えてくる。

苦しいのに、それが嬉しい。
泣きそうなのに、もっと泣きたくなる。

「痛みさえ恋になる」――
この言葉の意味が、ようやく少しだけ分かった気がする。

現実では絶対に手に入らない「解放」を、
妄想の中だけで味わっている。

ベッドの中でシーツをきつく握りしめる。
「壊して」「もっと」
口には出せない願いが、心の底で何度もリフレインする。

欲望に素直になれるのは、この時間だけ。
朝が来れば、また全部、心の奥にしまい込む。

10.マリオネットの告白

「ねえ、君は私のこと、本当に操ってるの?」

妄想の中の“君”に話しかける。
現実の世界では、誰にも言えないことも、
眠る前の自分には全部打ち明けてしまう。

「本当は、支配されるのが好き。
でも、全部自分で決めてるのも分かってる」

「自傷」って、単なる傷つける行為じゃない。
私は、心のどこかで「救われたい」って思ってる。

誰かに優しく「大丈夫だよ」って操られたい。
そのためなら、どんな痛みもご褒美になる。

無防備な気持ちを包むように、妄想の糸が体を巡る。
ベッドの上の私は、誰にも見えない踊り子。

誰かに見てほしい、でも絶対にバレたくない。
甘い矛盾が、身体を熱くする。

11.溶ける身体と、夜明け前の救済

時間の感覚が曖昧になっていく。
外では、遠くで新聞配達のバイクが通り過ぎる音。
部屋の中は静かで、
私の呼吸だけが夜に溶けていく。

「自傷マリオネット、踊って」
最後のフレーズが頭の中をぐるぐる回る。
もう、意識はぼんやりしている。

体は重くて、だけど心だけはふわふわと浮いていく。

君の声が聞こえた気がする。
「壊れるまで踊り尽くせ」
「欲望で操られた夜、忘れるなよ」

――誰かが私のすべてを受け止めてくれたような気がして、
涙がひとつ、シーツに染み込んだ。

12.そして静かな朝へ

まどろみの中で、もう一度だけ自分を抱きしめる。
誰にも言えない妄想、誰にも見せられない願い。
それでも、私はこの夜を生き抜いた。

「また、次の快感で会おうね」

目を閉じると、妄想の中の“君”が、そっと微笑んでくれた気がした。

明日が来れば、
また普通の女の子として一日が始まる。

でも、夜になるたびに私は戻ってくる――
自分だけの“自傷マリオネット”の舞台へ。

外はもう、うっすらと青くなっている。
カーテンの隙間から、静かな朝が部屋の中に忍び込む。

私は、静かな安堵とともに、
少し微笑んで、眠りの海へ落ちていった。

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